フィールドに現れてくる事象を「点」ではなく、「線」で捉えなければ感じるられないことがある。たとえば、水温10度。 この事象が、表すことは?これを「点」として捉えて判断している時点では、得られることは少ない。
8度から10度になったのか、 14度から10度になったのか、また、それが1日で起こったことなのか、数時間の内に起こったことなのか。
ニゴリがある。これは、「点」の事象。 ニゴリが発生している過程なのか、ニゴリが無くなっている過程なのか、また、それが1日で起こったことなのか、 数時間の内に起こったことなのか。「点」を「線」で捉えることで、全く逆の理解が出来ることがわかる。
すべての局面で言えることだ。自然界ではすべての事柄が、このように「完全に」繋がり、調和されて動いている。この調和を理解しないで、理論詰めで答えを出そうとする。
これが、「頭で考える」だけでは、正解に繋がらない原因のひとつ。理論漬けになったバサーが直面する悩みのひとつだ。
かくいう自分自身も、このサイクルにはまってずいぶんと悩んだ。この状況を打開する方法が意外なところにあった。ブルース・リーの映画の中で、弟子にいうセリフがある。
「頭で考えるな、感じろ」 理論や知識が全く必要ではないといっているのはない。それが、100%には成り得ないということだ。
たとえば、人間の身体を小宇宙・自然界にたとえてみてもいい。人間の体内の細胞の活動は、1秒間に約60億。ただ、単にお腹すいたという感覚にも、常に約60億の細胞が、自然と調和し寸分のズレもなく活動することで成り立っている。それは、思考を超えた領域で「完全」に行われている。
人間の科学がいくら発達しても、すばらしい英知を集結しても、人間が「生き物」を創造することが出来ないように、「自然の完全なる調和」を支配することは出来ない。理論で「支配」する方向から、調和する方向へ歩み寄ることで、はじめて、自然を「感じる」境地があるように思う。
自然界では、この大いなる摂理に基づいて 完全に1秒1秒が調和されて動いている。「点」から「線」へ、そして「面」へ。
「自然を感じられるアングラー」になろうと思ったときから、 僕は、ストレスから開放されたし、楽しみ方が変わった。最強のアングラーは、自然と対話することができる。
僕は、自然と対話できるアングラーになりたいと思っている。 そのために、今日から何が出来る? たとえば、フィールドのゴミを拾うことは、 自然と対話を始めることにならないだろうか。