降り注ぐ太陽

太陽は、その光と熱を地球上に平等に降り注いでいる。その光と熱を伝える、空気もまた平等だ。人は、よく目に見えないものを信じないという。しかし、太陽光や空気の存在を否定するものはいない。こうした部分にも、人間の利己的な解釈の一片を見ることが出来る。

人間が意識的に認識できる情報量は、脳自体が受け取る情報量のわずか数%に過ぎないという。それは、不要な情報を意識的に除外することで、混乱を招かないようにする生存維持機能といえる。これに、目に見えていないことを含めて考えると、人は、世の中の事象のほとんどを認識できていないことになる。

頭で考えて、答えを出すことの限界をここに見ることが出来る。特に、自然を相手とする釣りの分野では明らかだ。自分の感覚や感性を信じてみる。この壁を打開する唯一の方法であるといえる。現代の社会生活の多くは、そういった感覚を必要としないし、その感覚が物事をうまく進めてくれることを示してもくれない。

対して、自然相手の釣りという遊びは、その必要性をリアルに示してくれる遊びといえるだろう。さらに、その感覚がうまくいった結果は、釣果として、明らかに示してくれる。目に見えないことの多さ、それが調和する世界。その中に、入り込む姿勢が無ければ答えはない。

「自然」という世界が持つパワーはそこにある。今、スランプに陥っているならば、何も考えずに、まずは自然の中に入ってみることだ。自然に助けられた経験を持つ僕自身が保障しよう。人間の英知を超えたパワーがそこにはある。

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