サカナは、それぞれの固体の意思以前に、大きな自然のチカラによって動かされている。ひとつは、季節。つまり、太陽の傾き。そして、もうひとつは、月の満ち欠け。
このふたつの要素を基本に考えなければ、大きなところから、ボタンを掛け違える。人間においても、これは同じだが、社会通念によって出来たルールがある。だから、自然の摂理に従うというより、社会や個人の都合によって動く部分が多い。
だからといって、人間の都合だけで、自然と向き合うことには無理がある。いくら人間の科学が発達したとしても、科学は、決して「なぜ」という質問には答えてはくれない。
「なぜ、木々の種類は、こんなに必要なのか」「なぜ、様々な生物が世の中に存在するのか」この質問に答えられるのは科学ではなく、思慮深さから語られる哲学だけだ。環境問題が語られる昨今、この人間としてのスタンスが重要だと感じる。
科学のチカラでなんとかできると思うのか、自然の偉大さを感じ、畏敬の念に打たれるのか。たとえ、同じ事をするにしても、そのスタンスの違いは、大きい。科学や人間の都合に立った、奢り高きスタンスは、傷口を広げる。
自然に近い場所に立ち対話するアングラー。自然との駆引きを代弁するメッセンジャーでもありたい。