いくら手を尽くしても、反応がない場合がある。そういったときには、もう手の施しようがないと感じ、どうしても諦め感が、充満してくる。行き詰ったときは、どんなときも同じ。「基本に立ち返る」こと。
つまり、セオリーに立ち返るということだ。そう考えたとき、それまでの過程で、充分にセオリーを実践してきたと感じるかもしれない。しかし、ここでは、純粋にセオリーだけを見つめる。
これまでのアプローチの結果や、ここにいたるまでの過程のあらゆることを無視する。ゼロベース思考ということになる。ただ、全くのゼロでは、次への考えようがなくなる。だから、そこに純粋にセオリーだけを置く。
まさに、「置く」という表現が適切だろう。このときには、セオリーをこねくり回すようなことをしない。一言で表現されるセオリーをただ、置いてみる。そのゼロベースに立ち返ったとき、次の施すべき手の一端が見えてくるはずだ。
おそらく、それは行き詰ったときには、見えてこなかった手のひとつだろう。人の思考というのは、ある傾向に傾けば、できれば、それに寄り添うように考える習慣がある。だから、そこであえて、その傾向を取り外す。
気持ちを入れ替える、パターンを変える。表現は様々だろうが、具体的な手法はゼロベース。迷い混乱したなら、純粋にセオリーに立ち返る。その転換の時間は、その日の大切なときとなるだろう。