効率性のゲーム

バス釣りは、効率性を追求するゲームだと云われる。日本古来の釣りのスタイルである、餌を入れて待つというスタイルではなく、バスのいるエリア、場所を想定し、その場所を最も効率よく攻略できるルアーで積極的にアプローチする。そして、より短い時間で、よりよいサイズのバスを手にする。バス釣りとは、そういうゲームだ。そのために、水深とカバーを想定し、ルアーはカテゴライズされてきた。それぞれのルアータイプが、どういったカバーや状況を想定しいるかは、深く考えることなく知ることができる。

こうした話の対極として取り上げるのが、ライトリグだ。しかし、ライトリグを使うことは、決して効率性のゲームに反することではない。ライトリグは、手返しが悪く、広く探ることは出来ない。しかし、確実にそこにバスがいると確信出来る場合においては、最も効率的なメソッドであるといえるだろう。多くのバスプロたちは、試合前のプラクティスで広くバスを探り、試合当日には、そのバスをより確実に釣るためにライトリグを使っているといえる。その試合結果や釣り方だけを見れば、ライトリグが主流のように見えてしまう。これが、ライトリグ万能的な動きに繋がっているように感じる。

バスが何処にいるか解らない、ピスポットでその場所を特定出来ていないにも関わらず、ライトリグを投入して待ち続けるとしたら、それは所謂、”バス釣り”だと言えるだろうか。そこに効率性を追求するゲーム性は成立しているだろうか。そこに見えてくるのは、日本古来からある餌で寄せて釣る、”餌釣り”だと感じてしまうのは否めない。

バス釣りのゲーム性を成立させるには、まずバスがどういったエリアでどういった状態にあるのかを想定することから始まる。その仮説が、いきなり的を得ることは少なく、ルアーによる検証を繰り返しながら、エリアや場所を見切っていく。そう考えると、それは釣るためのアプローチでありながら、エリアを切り捨てるためのアプローチであるとも言える。フィールドの状況は、様々でエリアやカバーも様々だ。これをローラー作戦のごとく、しらみ潰しに行うことは現実的ではないし、そこに効率性もゲーム性もない。バスというサカナは、比較的その生態が明らかにされているからこそ、ゲームフィッシュとして成立している。その生態に沿った第一段階の絞り込みが、シーズナルパターンであり、セオリーだ。

当然ながら、シーズナルパターンやセオリーだけで、サカナは釣ることは出来ない。それは、効率性を高めるひとつの戦略のカギでしかない。実際に釣るには、戦術であるルアーやメソッドが重要になってくる。自分は、効率性を無視して、いつもの場所でいつもの方法を繰り返しているだけではないか?効率性を追求しているだろうか?効率性を追求するためには、どういったアプローチで、どう絞り込むべきだろうか?バス釣りの楽しみ方は、人それぞれだろうが、この効率性を追求するゲーム性を無視するのは、非常にもったいない話だ。簡単に釣ることを求めるならば、餌釣りをした方がいい。ルアーで、わざわざ釣りを難しくし、そこに面白さがなければ、ただの苦痛でしかない。

バス釣りの面白さを最大限にするための”効率性を追求するゲーム”というスタンス。そのスタンスを極めることにゴールはない。また、それが面白さに繋がっていく。だから、バス釣りはやめられない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)