情報の主(あるじ)

「○○で釣れた。場所は、××」こうした情報を聴いたとき、自分の中で、どのように解釈されるか。その解釈の仕方は、千差万別になるだろう。なぜならば、この情報は、真実の10%も表していない。

その場所を選択した理由、そこに行き着いた経緯、そして、仮定した状況やアプローチの選択。この短い言葉の背景には、たくさんの重要な情報が隠れている。

そして、その隠された情報(本人に隠す意図がなくても)こそが、そのサカナを手にした真の要因であることは間違いない。しかし、こうした情報はとても魅力的に感じる。そして、それが近道であると”誤解”してしまう。

もし、聴けるならば、その背景を聴けばいい。しかし、そうした機会も、そう多くはない。それでは、どうすればいいのか。そのひとつの方法は、「無視する」こと。これには、条件が付く。

その条件とは、「同じプロトコルで解釈ができないならば」。つまり、1を伝えれば10理解できる関係というものがある。それは、お互いをよく知り、同等の価値判断をもっている関係。

その関係の間で交わされる短い言葉の情報は、その背景までも、一度に伝えあえるものになる。「全部言わなくても判るでしょ?」ということだ。

そうした関係性のない状況では、その”短い状況を表す言葉”は、無視していい。いや、むしろ無視した方がいいだろう。情報とは、誰にとっても決して同じではない。

自分にあった情報かそうでない情報か。その見極めを怠れば、情報に振り回されてしまう。情報の僕(しもべ)ではなく、主(あるじ)になろう。

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