ルアー至上主義の脱却

多くのアングラーは、気付いているはずだ。実際のフィールドに出て、思うように釣れないとき、それがルアーのせいではないことを。しかし、もう一方で、ルアーが釣果に対して、大きく影響すると信じている。実際のところ、ルアーの如何が釣果に影響するのは、最後の最後。つまり、釣果に影響を与えるのは、エリアの選択やアプローチなどの戦略であって、ルアーという戦術ではない。戦略次第で、その日の釣果の9割は結果が出ているといっても過言ではないだろう。

しかし、戦略といっても、それは奥が深い。また、ルアーを売りたいメーカーサイドにしてみれば、本当の話、いわゆる戦略の話を中心に持ってきたところで、ルアーの販売には大きく貢献しない。だから、いかにも「このルアーだから」「このルアーしか」といった風潮になることは否めない。また、アングラーサイドも、戦略云々に首を突っ込むより、戦術の選択、つまりルアーの選択が釣果に繋がると考える方が簡単である。そういった意味で、双方の利害が一致しているようにも取れるが、それは釣果にあまり影響を与えない。

誤解を恐れず大胆にいうならば、世の中に出回るルアーに大差はない。釣れるルアーの定義は、往々にして販売数に比例する。多くの売れれば必然的に釣れる人も多い。たとえば、100個売れて30人釣れるルアーと、10個売れて5人釣れるルアーは、どちらが釣れるかといえば5人の方(50%)だが、実際は、30人の方(30%)が釣れると云われる。釣れるか釣れないかは、戦略や使い方次第なので、この議論自体、あまり意味のないことだが。

では、ルアーは何でも良いのかといえば、そうでもない。もし、ルアーに求められること、選択する基準があるとするならば、それは「信頼関係」であると言える。信頼関係とは、釣れる気がするかどうか。自信を持って投げ続けられるか、が重要だ。メディアプロが、釣果を見せてルアーのチカラだと訴えることは、真実ではないかもしれないが、こうした信頼関係の構築には大きく貢献している。

もし、釣りが上手くなりたいならば、過剰にルアーに期待し、責任を押し付けないことだ。ルアーを選択する基準は、求める基本的な性能と信頼関係。何か、勝手にルアーがサカナを呼んでくれるような錯覚は抱かない方が良い。釣果に結びつけるには、まず戦略、そしてその日の状況に応じた調整。それを高次元に実現してくれるのが、ルアーだ。ルアー至上主義の脱却は、アングラーにとって、大きな一歩となる。

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