30以下は、バスに非ず

「30cm以下のバスは、バスに非ず」。これは、バス釣りを行う上で、自分の中に一つの重要なルールだ。これは、あくまでも個人的なルールであり、他人にも適用すべきものとは思っていない。30cm以下の小バスをバスと見做さない理由としては、自分にとってバス釣りとは何か?どういったゲームなのか?に起因している。

バス釣りがゲームフィッシングとして成立する理由は、バスの生態がある程度明らかにされており、シーズナルな動きを予測して戦略的に釣ることが出来るからだ。まぐれや偶然にしか期待できないならば、そこにゲーム性や競技性は存在し得ない。バス釣りとは、この「戦略的に釣る」ということに難しさや面白さがあるといえる。

しかし、湖にいる全てのバスが、同じ動きをするわけではない。特に、個体差による住み分けは、自然界において当たり前に起きていることだ。そして、力がの強い個体が、良い場所を陣取るのも自然の法則。ここにもう一つのルールやパターンが存在する。また、バスが一年を通じて常に考えていることがある。それは、子孫繁栄だ。冬場を越すために体力を付けるのも、深場で生命を維持することも、産卵に向けて、より多くの子孫を残すためだ。そのための行動も、また一つのパターンになり得る。

一方、30cm以下の個体は、いうなればまだ子供だ。産卵のための行動をすることはない。また、何よりも懸念されることは、興味が先行してしまうことだ。警戒心も薄く、ルアーに興味でバイトしてしまう。このことが意味することは、「簡単である」ということだ。ルアーには、状況に応じて使い分けるためのタイプがあり、適材適所で使い分ける必要がある。これも戦略を支える重要な戦術なのだが、小バスには、あまり関係ない。興味をそそれば向こうから寄ってくる。

バス釣りのルアーを、注意深く観察すれば分かることだが、ルアーは、攻略すべきカバーの種別に応じて存在していることが分かる。カバーに付いているサカナは、警戒心が薄く獲物を狙っているという基本的な考え方に立ち、如何にそのカバーを効率よく攻略するかが、ルアーのタイプを作り出している。

バスが、今どういった状況にあって、そのカバーをどのように攻略するかというスタンス無しに、ただバスが見つけてくれて寄ってきてくれるのを待つならば、餌釣りと変わらない。そこにゲーム性が存在するだろうかと感じてしまう。だから、30cm以下のバスは、初めから狙わない。もし、釣れてしまった場合は、住み分けの考え方から、そのエリアや戦術を変える基準として捉える。

いうなれば自分にとって価値があるのは、バスのサイズではない。如何に戦略的に、かつ適切な戦術で狙い通りにバスを釣るかということであり、偶然に釣れてしまった50cmよりも、戦略的、戦術的に釣った40cmの方が価値がある。クオリティフィッシュということだ。30cm以下のバスは、それ以上のクオリティフィッシュ探し出すカギの一つではあるが、ターゲットにはなり得ない。

こうしたスタンスは、ある意味でバクチである。ボウズになることも多分にある。しかし、幸い青野ダムというメジャーフィールドで、いい確率でクオリティフィッシュを釣ることができている。何を釣るかではなく、どう釣るか。バス釣りの面白さを実感するために、突き詰めていきたいテーマである。

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